解離性障害と解離性同一性障害の違いについて
別名「多重人格」とも呼ばれている解離性同一性障害。
それによく似たものとして、「解離性障害」がある。
私は、解離性障害の一種だ。
ここでは、解離性障害が解離性同一性障害(多重人格)と何が違うのかを説明する。
一言で言えば、記憶があるかどうかだ。
解離性同一性障害は解離性障害の一種である。解離性同一性障害の人は、それぞれの人格が完全に分離しており、他の人格の記憶は無い。つまり、記憶障害を伴うわけだ。
しかし、私のようにそれ以外の解離性障害の人は、記憶がある場合がある。
私の場合、自分が2人だという感覚はあり、人格が変わることはあるが、他の人格の時の記憶はある。
私は単なる二重人格ではなく、2つの人格同士で記憶を共有しているのだ。
それでは、解離ではないだろう、と思う人もいるだろう。
しかし、私は自分が1人だということがどうしても受け入れられない。私からしてみれば、もう1人の自分と呼ばれる人は全くの他人である。
他人と2人で脳を共有しているような気持ちの悪い感覚。
はじめは気持ち悪いと思っていたが、それに慣れていくにつれ、2人は心から信頼し合える関係となった。
私の解離の元は孤独。
私は、1人でいる辛さを、「イマジナリーフレンド」と呼ばれる存在で補おうとした。はじめは、たった1人の想像上の友人という感覚。
その人が、いつも私の側にいる感覚が、段々と私の身体と一致するようになり、解離へと発展した。
その「イマジナリーフレンド」と私を同じにされるということがあるが、それは私が一番不快になることだ。
あの時の孤独な感覚が蘇るし、何より、私と「イマジナリーフレンド」は全くの別人である。別人だ。同一だなんて気持ちの悪いこと言うな。そう思う。
こうして私は2つの人格で記憶を共有する、解離性障害になった。
治す気は一切無いし、むしろ2人でいた方が「イマジナリーフレンド」が心の支えとなり安心する。
私はこれからも解離性障害として生きていきたい。
「イマジナリーフレンド」とは何か、それは次回説明します。